東洋のストラディバリ 陳昌鉉
木曽福島とのかかわり
韓国最高国民勲章を授章
高校教科書に掲載される
木曽鈴木バイオリン
エッセイ「ストラディバリと私」
記事等の取り扱いについて

木曽福島とのかかわり

若き日の陳青年(1960年頃)

陳さんが木曽に在住したのは昭和32年(1957年)からわずか4年半の間です。しかしながら陳さんにとって木曽は、独学を決意し、バイオリンの製作技術を習得し、南伊さんと出会い婚約した青春の地でもあります。
一方、木曽福島町では、平成14年度頃から木曽学運動を始めるにあたり顧問を探しているところでした。ちょうどその頃、NHKラジオ「私の本棚」で「海峡を渡るバイオリン」が朗読されており、山村のある自然資源の価値と卓越した職人技を持つ講師として陳さんが最適任者であると協力を打診し、平成16年に開催した第1回シンポジウムにパネラーとしてお招きしたのが始まりです。
このときに陳さんが述べられた「人は自然のなかで感性を研ぎ澄ますことが大切。木曽の自然が私の感性を研ぎ澄ましてくれた。」という言葉により、木曽学では、新たに「芸術文化振興事業」を立ち上げました。
同年11月には、木曽の未来を担う若者たちに夢と情熱を託すとともに、まちづくりに役立ててほしいと「木曽号」と命名されたバイオリンが寄贈され、その後も、講演会や演奏会などに来町いただき、町民の文化向上や人材育成にご協力いただいています。またコミックの発刊やテレビドラマの放映など陳さんがマスコミに登場するたびに木曽のことがクローズアップされるようになり、メディアを通じて当町のPRに大きく貢献いただいています。
若き日の4年半を当町で過ごされ、卓越した技術の基礎を培われるとともに、日本の故郷として当町を愛されていること、当町を出発点として国際的な文化の進展に尽くされた功績は多大であり、町民にとって大きな誇りであります。なにより、どんなに困難な道でも自分を信じ努力すれば夢は叶うことを実践された陳さんの半生が、夢を失いがちな現代において、これからの若者の大きな標となり人づくりの精神的支えとなるものと、木曽福島町ではその功績を称え、平成17年10月23日に木曽福島町名誉町民章を贈り顕彰しました。
 
懐かしき哉  木曽福島
我青春の   夢のあと
朝な夕なに 仰ぎし 木曽駒
八沢川のせせらぎに 夢をみる
玉石の輝く日を
 
 現在、東京都調布市にお住まいの陳先生が木曽を想いつくられた歌です。これからも益々のご活躍をご祈念申し上げます。
 陳先生から贈られたバイオリン木曽号は、木曽福島支所前の広小路プラザに展示されています。また木曽町の合併記念として新たな時を刻む意味を込めて贈られた大きな柱時計は、町役場庁舎の玄関にあります。
 

写真で紹介する軌跡1 掘っ建て小屋跡地にて

冒頭の写真より40年の歳月を経た現在の様子

軌跡2 砂利掬い場

当時、生計を立てるために砂利掬いをした塩渕の堰堤

軌跡3 バイオリン木曽号贈呈式

2004年11月、木曽駒高原で行なわれた贈呈式

軌跡4 バイオリン木曽号

軌跡5 名誉町民の顕彰

隣は奥様の南伊さん、ご友人の河正雄ご夫妻と。河さんから頂いたお祝いのメッセージは河さんのホームページをご覧ください。http://www.inori-ha.com/art1_18.htm

木曽路文化ギャラリー

1階のビデオシアターでは陳先生を映像で紹介、また2階には木曽福島と陳先生に関わる資料を展示しています。

ギャラリー内の様子

木曽学研究所の工房訪問

2009年5月9日、木曽学研究所18名で、調布市にある陳先生の工房を見学しました。工房見学の御礼に木曽節を贈りました。

木曽節を懐かしむ陳先生