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エッセイ「ストラディバリと私」 冬が近づくと木曽の寒さを想い出す。
山平の掘っ立て小屋の夜は格別だった。枕元のどんぶりの水も朝になればかちんかちんに凍っていた。穴のあいた古トタンを集めて作った屋根と外壁、天井と内壁もない。月夜の明りで星の瞬きを眺めながら寝入る。風狂この上ない。私だけの懐かしい風物詩が木曽にある。
それだけでない。バイオリン作り職人としての私の人間力と感性を育んでくれた忘れ得ぬ大自然と人々が、今も優しく息づいている。山や川、そして谷のない古里ではぴんと来ない。木曽を離れて五十年近く東京に住んでも、そこは生活の場と云う感覚から未だ抜け出せない、あやしい東京人に過ぎない。春になれば、開田高原の現場から眺める雄大な御嶽山のパノラマ、白樺と唐松林の目の覚めるような新緑、秋は秋で粒立ちの鮮やかな黄金色の衣がこの世を彩る。木曽ならどこでも易く耳にするせせらぎと野鳥の声も心に残る。
最近の脳科学者の話によると、自然界の音には音源定位と云って脳幹の働きで脳の血流を促し、人の心を癒す効果があるとされる。昔からバイオリン作りの名人達は、「色と音」にこよなく拘わってきた。意外と細工は十人十色である。色は七癖隠すと云われるように色が人間の心と感情にあたえるインパクトは計り知れない。銘器のニスの色は粒立ちが鮮やかな故、色が深く渋く、華やかに見える。物理的には色素や樹脂の分子や粒子が限りなく細く、密度が高いからである。音の面でも銘器はせせらぎや野鳥の声のように音源定位が定かである故、人間の心を癒し、音の道筋がはっきりしてホールの後ろまで木目細かく透る。
私のバイオリンづくり、人生も詰めの段階に入り、究極の「色と音」を求めて格闘しながら先人の轍を踏み越えようと頑張っている。
私をして木曽と出会わせた人がいたとすれば、正しく不世出の名人アントニオストラディバリだろう。人類の文化と叡智を結集した文化遺産として、よく銘器ストラディバリが取り上げられる。彼の死後三百年、今尚その秘法は解明されず、失われた技術としてあまたのバイオリン製作者や科学者の挑戦を拒みつづける。
日本でも戦後間もなくストラディバリの解明と再現に挑戦した科学者がいた。日本のロケット開発の先駆者である故糸川英夫教授である。私の運命を変えたのも先生との出会いから始まる。
昭和二十九年、母校の記念館講堂に於ける先生の講演「銘器ストラディバリの研究論文発表」の場に偶然出会った。講演のなかで、ストラディバリの解明と再現は二十世紀の先端科学技術をしても不可能、人類永遠の謎と結論した。
夢と希望に飢え、挫折を繰り返してきた当時の私には“不可能”“謎”と云う響きに限りない好奇心と夢を感じ、その再現にチャレンジと決め込んだ。技術的な裏付けも自信の根拠もない全くの無謀な覚悟だった。以後独学の分際でストラディバリを仮想の師と仰ぎ、視線の彼方に絶えず銘器ストラディバリを重ねながら命を燃やし半世紀になる。
その摩訶不思議な美と音のメカニズムは、極めれば極める程奥深く幽玄の世界をさまよう。そのような自分が中世の錬金術師の姿とだぶって見えて儚い思いをしたこともあった。
人生八十年を生きて思うに、すばらしい夢や目的を達成しようとするといろんな障害や苦難が立ちはだかるもの。一方、その反作用として、それを克服して生きようとする人間力と感性も高まるように自然の摂理はうまく出来ている。
今の世の中はグローバル自由競争時代とかIT情報化時代と云われて錯綜としている。こう云う時代だからこそ尚人は人類の普遍性を信じ時代の流れに逆らわずとも流されない、ぶれない確かな自分を確立する必要がある。
バイオリン製作の世界でも名人達の亡き後、三百年間今日に至る迄錯綜とした情報に振り回されてきた。例えばバイオリンは作りたての時は鳴らなくても、三百年間弾き込んだり三百年の時間がたてば経年変化の作用で銘器の音に近づくとか、又は三百年前の名人達が使った質の良い桧(スプルス)や楓材並びニスに使う樹脂や染料材は枯渇したから銘器の再現は不可能との説もある。又銘器の材料は数十年から百年位自然乾燥した材を使った筈だとか諸説紛々。いろいろと過去の文献を調べたり実験した結果では、凡て根拠の無い常識であったり神話に過ぎなかった。銘器が美しい音響特性を発揮するのは、物理的且つ分子構造がそのような音響特性と合致しているからである。
最近は木材分析工学が発達して、銘器に使った材料が西暦何年に山で伐採した材か、瞬時に割り出せるようになった。製作年数から伐採年数を差し引くと銘器の材料の乾燥年数を割り出せる。その結果、四年くらいから十年くらいの乾燥材を使っていた事も判明した。又文献に依ると、ストラディバリとガルネリの銘器は作り立ての当時から銘器の音がして他の製作者から群を抜いて高く評価されたと記録されている。
今、社会は格差のことで喧しい。バイオリンの演奏社会では、何百年以前から愛器の格差のことで、バイオリニストを夢見る者にとっては頭痛の種であった。
芸術の世界でも競争は激しく、国内コンクールや国際コンクールの最終本選ではオーケストラの伴奏で弾くため、競争相手の一人が銘器で出場した場合、多少演奏の器量に優っていても後の人は泣きを見る場合が多い。だからと云って五億円から十億円もする銘器を誰でも容易く買える訳でもない。この格差を少しでも是正するのが私の使命であり生きる証しだと思って、老体に鞭打って研究製作に精進せざるを得ない。
演奏者からよく銘器を再現する可能性は本当にあり得るのか、それはいつ頃かと聞かれる。可能性はある、そしてもう少し待ってくださいと繰り返す。又銘器再現が出来ない原因も聞かれる。それは時代背景の違いから来る現代人の思考方式と視点の違いからです、と答える。
ものは考えようでどうにかなると云う言葉があるように、人間は考え方と視点をひと括りにすることで新しい局面の展開が期待できる場合もあり得る。産業革命以前の十七、八世紀では職人や人々は前提条件に拘らない水平思考でものを考えた。だから閃きのある創造性豊かな作品が作れたと思う。反面、現代人の弱点は、合理性と効率を重んじて三段論法式に論理思考と視点を大事にし過ぎたきらいがある。先の見えない閉塞状態にある日本社会と銘器が未だ出来ないバイオリン製作者の我々は、共通した局面にあると思う。
さて、昨年は、私にとって思い出に残る年でした。九月二十三日、京都会館ではバイオリニストの佐藤陽子さんによる銘器ストラディバリとガルネリ・デルジェス、それと私の自作のバイオリンとの弾き比べ演奏会がありました。木曽からは町長ご夫妻をはじめ多くの町民がはるばるご来場下さり、一日中私達夫婦はわくわくしました。感謝の気持ちで一杯です。
又その後十一月二十三日に静岡音楽館ホールで、昨年のロン・ティボー国際バイオリンコンクールで入賞し日本の次世代のソリストを待望される芸大一年生の長尾春花さんのトークコンサートでも、私の最近作のバイオリンで演奏され超満員のホールで好評を博しました。長尾さんは今年二月に東京のサントリー大ホールにおけるガラ・コンサートに出演されます。新作のバイオリンは、広い大ホールでのソロの演奏には音が透らないから不適とする、従来の固定観念を破る時期が来た証拠として、意義に感じています。
木曽の皆さん、どうぞ今年も良い年をお過ごしください。
東京から バイオリン製作者 陳昌鉉
2009年新春
このエッセイは、陳先生から木曽町民の皆さんへのメッセージとして、ご寄稿いただきました。
※ロン・ティボー国際コンクール…フランス・パリで開催される若手ピアノストとバイオリニストのための国際コンクール。若い才能を育み、世界へ羽ばたくチャンスを与える必要性を痛感していたフランスのピアノスト、マルグリット・ロンとヴァイオリニストジャック・ティボーによって1943年にパリで創設された。3年周期に毎年、ピアノ部門、バイオリン部門、過去の優勝、入賞者を迎えたガラ・コンサートの3つに分けて行なわれる。
※ ガラ・コンサート…記念コンサート、特別に行なわれるコンサートのこと
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