チャイコフスキー 弦楽六重奏曲 ニ短調 op.70 「フィレンツェの思い出」 ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840-93)がこの弦楽六重奏曲(ヴァイオリン2、ヴィオラ2、チェロ2)の作曲を思い立ったのは1887年のこと、前年にペテルブルクの室内楽協会の名誉会員に選ばれたことに対する協会への返礼作品としてであった。しかしなかなか本格的な作曲に入れないまま月日が経ってしまう。その後彼は1890年フィレンツェに赴き、ここでオペラ「スペードの女王」の作曲に力を注ぐが、このフィレンツェ滞在中に、前々から構想していた弦楽六重奏曲の作曲に乗り出した。本格的な創作は6月にロシアに帰ってからのことで、「苦労せず楽しく熱中しながら」(作曲者自身の言葉)筆を進め、夏の間にひとまず完成、9月には仲間うちでの試演もなされた。ところがこの年の秋、パトロンであったフォン・メック夫人から年金援助の打ち切りが通告されたため、チャイコフスキーはショックを受け、この作品はそのまましばらく放置されることとなる。彼が再びこの作品に目を向けたのは1891年末のことで、翌1892年初めまでに改訂を施し、最後の仕上げがなされた。こうして出来た六重奏曲は1892年暮れにペテルブルクの室内音楽協会で初演され、やっと協会に献呈されたのである。「フィレンツェの思い出」という題は作曲者自身によるもので、たしかにこの作品にみられる伸びやかな側面はフィレンツェでの生活と関わりがあるのだろう。しかし一方チャイコフスキーならではのロシア的なメランコリックな性格も色濃く打ち出されており、そうした民族色と後期の熟した書法とが相俟ってこの六重奏曲は彼の個性を如実に示す作品となっている。
第1楽章(アレグロ・コン・スピーリト)は活気溢れるソナタ形式楽章で、明るさと暗さとが交錯する。第2楽章(アダージョ・カンタービレ・エ・コン・モート)は叙情美に満ちた旋律が歌われる緩徐楽章。動的な中間部が対照を作り出す。第3楽章(アレグレット・モデラート)はスケルツォに相当する楽章で、ロシアの民俗舞曲の性格を持っている。第4楽章(アレグロ・ヴィヴァーチェ)は、やはりロシアの民俗舞曲風の主題を持つソナタ形式のフィナーレで、フーガ風の書法も取り入れて華麗に発展する。 無断転載厳禁 |
