更新日 : 平成27年05月11日(月曜日)
かつて「新平家物語」を執筆された吉川英治氏は、木曽義仲の取材で各地を訪れた時、各地それぞれにゆかりの地や伝承が多いことに「改めて驚いた」と書いておられます(「新平家物語落ち穂集」)。八百年を超えて、なお語り継がれていることは、それぞれの郷土の誇りと義仲や巴御前への深い敬愛の念をもって、先駆けて時代を変革した英雄木曽義仲を語り伝えた結果であることを物語っております。
一方、一般的には「義仲像」は「源平盛衰記」を含む「平家物語」によって広く深く浸透し、「平家物語」は今日でも大学や市民講座などで人気があり参加者も多いと聞きます。言うまでもなく「平家物語」は日本を代表する古典物語であり、その価値は高く評価しなければなりません。
ただ不幸なことに、これが虚構をも混じえた「物語」であるにもかかわらず、長く歴史書(史実)として読まれてきたこと、また義仲のライバルだった頼朝の鎌倉時代に成立した作品であることなどを考慮せねばならず、義仲が誤解されたままで世に行き渡ってしまったことは残念の極みであります。
今日では歴史学、国文学それぞれに研究が進み、物語と史実の違いも明らかになって来て、この点に言及される先生も徐々に増えてきているようであります。
このような歴史的な状況を踏まえて、平成3年、「義仲復権の会」が結成され、その年1月に滋賀県大津市で設立総会が開かれております。このときは、長野県、埼玉県、東京都、富山県、石川県、福井県、滋賀県、広島県、京都府など全国規模の各支部のもと幅広く多数の会員が参加し、大変な盛り上がりでした。
その総会の席で当時の小林春夫会長(八十二銀行会長)は「どちらかといえば、逆賊、悪者と語り伝えられていることに対し、私もかねがね心外に思っていました。……新しい時代への先駆者だった義仲像を、正しく世に広めることは大変な仕事です。会員皆様のご協力をいただいて目的達成に努めたい」と挨拶されています。
その後、様々な経緯があり、今日では各地区に分かれたままに義仲や巴御前の顕彰活動や事業が行われているのが実情です。 この15年の歳月の間に、時代や状況も変わり世代も変わりつつあります。設立当時、史実や運営方法を巡って熱心に議論された尊敬すべき先輩指導者たちの訃報も出始め、淋しく残念に思われるこの頃であります。
最近、私どもの会では特に若い層の方々から「なぜ、同じ木曽義仲の再評価を願いながら、一つの組織でやれないのか」との疑問が強く出されております。確かに各地の催しなども相互に連携して行えば参加者も増え、会としてのアピールの声も大きくなり、なによりも、ゆかりの地域では次の世代を背負う若い人たちへの伝承が広がり、大きな意義をもつものと思われます。また各地での行事などの情報も相互に交換すれば、広く伝わって勉強や観光に訪れる全国一般の方の便宜も増すことでしょう。
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