更新日 : 令和02年04月06日(月曜日)
(1)木曽の桟
断崖絶壁に木曽川に沿って造られた木の桟道であった、松尾芭蕉の句碑が有名で橋を渡った対岸に同じ句碑が2基あるから探してみよう。
(2)沓掛一里塚
39番目の一里塚である、場所は上松町沓掛地区になり、鉄道横に片側だけが残っており、後から移転されたお堂が頭に建てられている。
(3)神戸御嶽遥拝所
江戸後期から御嶽登拝が盛んになり、中山道沿いで見られる場所に遥拝所が設けられ東門として祀られた。
(4)塩渕一里塚
38番目の一里塚であり、塩渕集会場付近である。
(5)木曽福島駅前
江戸中期まで旧木曽川沿いに中山道があったが水害で流れてしまい、塩渕から土手を迂回して登り役場本庁から上流で万郡沢を渡り、駅北から駅坂を降りて八沢に向かっていた。
(6)八沢
木曽谷最初の漆器発祥の地で「八沢漆器」と呼ばれ、どの家も漆器産業に関わっていた。
(7)上ノ段
中山道の面影が残る通りで井戸や水場・桝形・高札場がある。
(8)本町~上町
本町から上町までが福島宿の繁華街で本陣を中心に宿場が賑っていた、いわや前のT字路正面には脇本陣が構えていた。
(9)福島関所跡
木曽川絶壁上の僅かな平地に関所を設けた、入鉄砲出女を厳しく取締ったことで有名であり、山村代官が江戸時代を通して守った。
(10)山村代官経塚
木曽義昌が網戸で亡くなった後木曽に帰った山村良候は戦いで亡くなった部下の供養のために全国六十六ヶ所巡りを行い経塚を建てた。
(11)出尻一里塚
37番目の一里塚である、一里塚南側は国道敷地となっているが、北側は畑と思われる。
(12)山下手習天満宮
北西に位置する台地は3方が川に接した天然の要塞で義仲幼児期である駒王丸はそこで育ち、毎朝天満宮を拝んで勉学に励んだ。
(13)中山道中間点
原野地区元原にあり木曽駒ケ岳が見える絶好の場所であり
日本橋・三条大橋間へそれぞれ67里28丁(約266km)である。
(14)宮ノ越一里塚
日本橋から36番目の一里塚であり宿場からは少し南に外れた場所である。
(15)宮ノ越宿本陣
元治2年(1865)に再建されたが明治16年の宿場大火で一部焼残り当時の材料が残されていて、平成27年(2015)に復元された。
(16)義仲館・徳音寺
木曽の英雄木曽義仲の生涯を分かり易く紹介した施設、全国の伝承地も紹介されている、徳音寺には義仲らの墓地や資料館がある。
(17)巴ヶ渕
龍神であった巴御前が髪を洗っていた岩などの伝説がある、中山道は対岸の右岸にあったが鉄道工事で途切れてしまい巴橋が架けられた。
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