更新日 : 令和02年04月06日(月曜日)
(1)木曽義元の墓(福島沼田野)
沼田野木曽川沿いの水田端に木曽家16代義元の墓がある
永正元年(1504)飛騨国三木勢が白巣峠を越えて王滝村に攻め入ったため応戦したが討たれ、撤退途中で亡くなり埋葬されている。
(2)白川阿古太丸の墓(福島板敷野)
京都三条に住む白河公家様に子がなく御嶽様祈願で生まれ子供阿古多丸は後妻の陰謀で木曽に来て亡くなった、その後一家も次々に来ては自害した不幸な出来事の伝説があり御嶽山縁起になっている 。
(3)ひともっこ山(福島御室)
御嶽山は火山で富士山の次に高い山である、出雲の神が御嶽山を一晩で富士山と同じ高さにしようと大きなもっこで木曽川の岩を集めて運んでいたがもう少しのところで一番鳥が鳴いてしまい捨てていった山である。
(4)真理姫供養塔(福島大通寺)
上之段城当時の木曽家館は現在大通寺敷地で、武田信玄3女真理姫も住んでいたことから立派な供養塔が建てられた。
(5)木曽家墓・山村家奥方墓・武田信玄供養塔 (福島長福寺)
木曽家後期の墓地や山村代官奥方墓地のほか境内に武田信玄供養塔がある。
(6)木曽家供養塔・山村家墓(福島興禅寺)
興禅寺墓地には木曽義仲や信道・義康・義昌の墓があるほか、山村家2代からの大きな墓石が並んでいて圧倒される。
(7)経塚(上田あら町)
初代代官山村良候が全国六十六ヶ所納経の経塚を祀ってから5代代官良忠が良候百年忌に碑文と大日如来座像碑を建立した、経塚からは御嶽山の一部を見ることができる。
(8)義仲元服松・兼遠塚(上田此尻)
木曽義仲の幼児期駒王丸が育った中原兼遠館があった場所で3方が川で崖になっている、義仲が元服した時の記念樹2代目松が大木になって残っている。
(9)武田勢古戦場(原野小沢)
戦国時代武田晴信が木曽に攻め入り小沢川(正沢川)を挟んで戦になったが敗退し、和議を申し入れ真理姫を義昌の室に迎えた。
木曽福島地区,日義地区
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